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東京地方裁判所 昭和55年(タ)41号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 小野允雄

同 羽柴駿

被告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 猪股正哉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告とを離婚する。

2  原・被告間の長女春子(昭和四二年一月一日生)、長男一郎(昭和四四年一二月一四日生)二女夏子(昭和四八年一〇月二日生)の親権者を原告と定める。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文第一項と同旨

2  原告は被告に対し、相当の財産分与をせよ。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告とは、昭和三七年に知り合い、同四〇年六月一一日に婚姻した夫婦であり、右両名間に長女春子(昭和四二年一月一日生)長男一郎(昭和四四年一二月一四日生)二女夏子(昭和四八年一〇月二日生)の三人の子がいる。

2  原告と被告は、婚姻後青森市内で生活を送っていたところ、昭和四二年の秋に被告の実母が死亡したが、これが契機となって被告は近所の人とささいなことでトラブルを起こすようになった。また、長男一郎出産後、同人に対して授乳しないため入院先の医師に怒られ、指導を受けるようなこともあった。

3  昭和四五年の冬、被告は隣家の丁原方の雪が自家の屋根に落ちてくるのを気にし出すようになり、次第に丁原家でわざと自家に雪を落としているのではないかと思い込むようになっていた。

そして、同四七年一月には、被告は丁原方に雪のことで怒鳴り込んだし、同年春ころから「私の家と隣りだけをテレビが取り上げている。マスコミがとり上げている。」などと言い始め、全ての物事を自家と隣家のことに結びつけるというような幻覚症状が現われた。同年秋には被告は丁原方に投石してガラスを破損した。

4  被告は、二女夏子を出産した昭和四八年は小康を保っていたものの、同四九年春ころから再び幻覚症状が現われ、米ソ関係のテレビニュースを自家と丁原家との関係を暗にとり上げているものと考えたり、隣家が自家との土地の境に刃物を投げ出しておいているなどと公言するようになった。

5  このため、昭和四九年七月二二日原告は被告を青森県立中央病院(以下、「県立中央病院」という。)精神科に受診させたところ、精神分裂病との診断であった。しかし、被告は通院を拒んだので、原告が被告に代わって右病院に薬を受取りに行った。

6  昭和四九年暮ころには被告は殆んど食事を作らなくなり、時間の観念を失っていった。そして、同五〇年一月には格別の理由もないのに二女夏子を布団の上に投げつけたりした。

7  このように被告の症状が悪化したため、昭和五〇年三月三一日被告は県立中央病院に入院したところ、同年一〇月一日症状軽快により同病院を退院し、その後通院治療を受けていたが、同五一年五月には通院治療も終了した。

8  ところが、昭和五一年六月中旬ころ、被告は昼間から寝ていたり、食事も満足に作らなくなったので、原告は被告に病院での受診を勧めたが被告は応ぜず、その後殆んど食事も作らなくなってしまった。

9  そこで、原告は昭和五一年七月、被告を気分転換させるため上京させると共に、同年八月二一日被告を東京都立松沢病院(以下「松沢病院」という。)で受診させたところ、精神分裂病で入院が必要との診断であったので被告は直ちに同病院に入院した。

10  被告は昭和五四年九月松沢病院を一応退院して東京都内で単身生活を送っているが、同女は現在も一定の精神障害を残した病勢が固定した状態である欠陥治ゆの状態にあり、表面的な対人接触、鈍く平板な感情反応、自発性の減退、思考内容の貧困などの障害が根強く残っているため、夫婦としての相互協力義務を尽すことはできず主婦としての日常業務を円満に遂行できる状態にない。

また、青森の気候・風土の影響で精神分裂病が再発するおそれも十分存在する。

11(一)  ところで、原告はA高等学校の教諭をしているところ昭和四九年ころからたえず食事に気を配り被告の補助をしなければならない状態であったが、同五〇年に被告が県立中央病院に入院することから全日制から定時制に替えてもらい右入院中食事の仕度、洗濯、育児等をしていたが、同五一年八月に被告が松沢病院に入院してからは本格的に原告と子供達との生活が始まり、原告は教師としての仕事のほか家庭における主婦の役割をも果たさざるを得なくなった。

(二) このため、原告自身も極度に精神的に疲労し、いらいらした状態が続き、授業もうまくいかないようになっていったので同五一年一〇月一日県立中央病院で受診したところ、ノイローゼと診断された。

同年一二月八日には長男一郎が学校で吐き、原因も空腹であったことが分かり、原告は非常に衝撃を受け、自分の力の限界を感じ、この頃被告との離婚を考えるようになった。

(三) 同五二年になっても原告は不安定な精神状態が続いたため、同年三月、長女春子と長男一郎を「B園」という施設に入れることにした。しかし、「B園」の生活は子供達にとってマイナスのように思われ、教育上の配慮から同五三年一月に長男一郎を、同年三月に長女春子をそれぞれ自宅に引き取った。

(四) 現在原告は母親が必要最小限の家事を手伝ってくれるのでかろうじて生活しているが、同女も高齢の上ひざの疾患で入院するなど必ずしも頼りきることはできず、いつまた原告の健康が損われるか分からない状態である。

12  原告はこれまで被告のために多額の治療費を支出し、貯えも殆んど使い果たしてしまったが、現在被告に毎月四万円以上の送金を続けており、原告は教員としての給与で生活を維持しているところ、毎月平均二二万円程度の実収しかないので、右送金のために極めて切りつめた生活を余儀なくされており、原告と子供らの生活は危機にひんしている。

13  さらに、原告はこれまでの被告の看病、育児その他の日常の家事に追われ、かつまた、その間の一連の問題への対応による心身の疲労も重なり、教育者としての職務遂行に万全を期待し難い状況にある。その上、子供達も精神的に不安定な状態であり、右のように疲労困ぱいしている原告としては、子供達の教育にも自信が持てない状態である。

14  なお、原告は昭和五二年八月一二日青森家庭裁判所に被告の禁治産宣告の申立をしたところ、同五三年七月三日同家裁は、被告に対し、心神耗弱を理由として準禁治産宣告をなし、被告は右審判に対して即時抗告をしたが、同年一一月一五日仙台高等裁判所は右抗告を棄却した。

15  以上のとおりであるから、原告は被告に対し、民法七七〇条一項四号を理由として、仮に右主張が認められないとしても、同項五号を理由として離婚を求めると共に原・被告間の長女春子、長男一郎及び二女夏子の親権者をいずれも原告と定めることを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、原告と被告とが青森市内で結婚生活を開始したこと及び原告主張の時期に被告の実母が死亡したことは認め、その余の事実は否認する。近所の者とのトラブルは世間によくある日常茶飯事でありとりたてて問題とすべき事ではなく、授乳の件も被告としては医師の助言に従い母乳を与えようとはしたが母乳が出なかったものである。

3  同3の事実は否認する。丁原との雪の件は、屋根の雪や氷柱が落ちて自宅の屋根を壊されたので原告に相談したが取り合ってくれなかったので原告の父親とも相談して苦情を伝えたもので、右苦情も少し強くいったぐらいで怒鳴ったりはしていない。また、投石したのは子供であり被告ではない。

4  同4の事実は否認する。ただし、被告の病型は人格変化の少ない妄想型であるから、幻覚症状があったとの点は除き、妄想に基く言動が存した可能性はあると思われる。

5  同5の事実中、原告主張のころ県立中央病院精神科で被告が受診したことは認め、その余の事実は知らない。

6  同6の事実は否認する。その症状、経過に徴し、被告が原告主張のような粗暴な行為をすることは考えられない。

7  同7の事実中、原告主張のころの被告の県立中央病院入退院の点は認めるがその余の事実は否認する。

8  同8の事実は否認する。被告が昼間寝ていたのは風邪で三八度の熱があったからである。また、病気の再発症状が現われたのは、退院後病院若しくは原告のミスで被告に薬を飲ませなかったからである。

9  同9の事実中、原告が被告を上京させた理由は知らないが、その余の事実は認める。

10  同10の事実中、被告が原告主張のころに松沢病院を退院したこと、現在東京都内で単身生活していること、被告が精神分裂病の欠陥治ゆの状態にあることは認めるがその余の事実は否認する。

被告は民法七七〇条一項四号にいう「強度の精神病」にかかったことはなく、精神分裂病の障害も殆んど回復している。現在被告の病状は欠陥治ゆの状態にあるところ、欠陥治ゆとは精神分裂病における軽度ないし中等度の欠陥の場合について使用される用語であり、完全治ゆの可能性を排除するものでない上、家庭生活のみならずかなりの程度の職業に従事することも可能な状態を言うものである。また、現在では精神分裂病が必ずしも再発するとは限らないことが明らかとなっている。

11  同11の事実中、(一)の事実は認め、(二)及び(三)の事実は知らない。(四)の事実については、むしろ原告のいたわり、思いやりの足りなかった事実はあっても原告の場合はその対応能力の問題を除けば、病気の配偶者を抱えた家庭の普通の場合に比して特別の異例の困難性があったとは思われない。

12  同12の事実については、入院費等は保険により賄っており、その余は殆んど放置されていたに等しいものであった。

13  同13の前段の事実については、原告の場合、病気の配偶者を抱えた家庭の普通の場合に比して特別の異例の困難性があったとは思われない。後段の事実は否認する。

14  同14の事実は認める。

15  同15は争う。被告は民法七七〇条一項四号にいう回復の見込みのない強度の精神病に罹患しておらず、原・被告間には同項五号の婚姻を継続し難い重大な事由も存しないものである。

仮に原告の離婚請求が認められる場合には、予備的に被告は原告に対し、財産分与の請求をするものである。すなわち、原告は、肩書住所地の土地一〇四坪、同地上に建物(建坪三九坪)を所有するところ、右各不動産は被告に対しても結婚の条件として贈与されたもので、実質的には原・被告の共有に属するものであり、被告はこれらの維持・管理に協力している。

よって、被告は原告に対し、予備的に相当な財産分与を求める。

三  被告の予備的財産分与の申立に対する答弁

原告は離婚を前提として被告に財産の分与をなすことはやぶさかではないが、具体的金額の算定については次の事情をしんしゃくすべきである。

1  原告は公立学校の教員として勤務している者であるがその給与は全て三人の子供の教育費と被告への毎月の仕送りのためにあてられてなお不足しており、わずかな貯えも今日までに被告の治療費等のために使い果たして残っておらず、他に収入の途のない原告としては長女春子の大学進学の希望をかなえさせることも困難な状況にある。

2  原告の資産としては唯一現住居(土地・建物)があるのみであるが、子供達を含む生活の本拠として必要なものであって、売却処分するわけにはゆかない。因に、右土地は昭和三七年に原告の父親が原告名義で購入したものであり、右建物は被告との結婚のため原告が費用の大半を負抱して建築したものであるから、これらが原・被告の実質的共有とする被告の主張は失当である。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告(昭和一二年一〇月一一日生)と被告(昭和一五年三月二六日生)とは、昭和三七年ころ東京都内のダンスホールで知り合ったことがきっかけで交際が始まり、原告がA高等学校の教諭として勤務することとなった翌年の同四〇年に婚約し、同年六月一一日に婚姻の届出を了し、青森市内で結婚生活を開始した。

二人の間には長女春子(昭和四二年一月一日生)、長男一郎(昭和四四年一二月一四日生)、二女夏子(昭和四八年一〇月二日生)の三子がいる。

2  原告は、被告と結婚するにあたり新居を建築することとし、昭和四〇年春既に同三七年に父親から贈与されていた肩書住所地上に建物一棟を建築した(同年五月ころ完成)。なお、右建物建築資金は、その大半を原告自身の貯金で、不足分を借入金と父親からの援助で賄った。

3  昭和四二年一一月一九日被告の実母ハナが死亡したが、このころから被告に攻撃的な言動が現われ、「自転車を貸してあげたのにわざと玄関に倒して返してきた。」とか、「漬物をあげたのに腐っていると言われたので絶交した。」などと近所の人とトラブルを起こすようになった。

また、特に同四五年の暮ころから被告は隣家の丁原方の雪が自家の屋根に落ちてくるのを気にし出し、隣家が故意にしているのではないかと思い込むようになり、原告に対し、「隣の雪が家へ落ちてくる。雪を投げこんでいる。」などと度々訴えるようになった。

同四六年には、被告は、手がしびれるとか眼鏡の度が合わないなどと訴えて県立中央病院に通院したが、「先生に痛いですかと尋ねられても痛くないと嘘をついてきた。」とか、「眼鏡の度が合わなくても合ったと言ってやった。」などの異常な言動がみられた。

同四七年春ころから被告に幻覚症状が現われ、隣家の丁原方のことを気にし出し、「テレビで隣の家と自分の家との争いを放送している。」、「新聞やマスコミも騒いでいる。」などの被害的言動が高じ、同年一一月ころには被告は丁原方に投石してガラスを損壊した。

同四八年一〇月二日に二女の夏子を出産したが、被告はしばらくは育児に専念してそのころには特に異常な言動はみられなかったが、同四九年春ころから再び被告に幻覚症状が現われ、隣家のことを気にし始め、米ソ関係のニュースも自家と隣家との関係におきかえ、「テレビマスコミが自分の家と隣の家のことを取り上げて放送している。」などと言い出したり、「隣の家が刃物を自家との境界線に投げ出しておいている。」という発言もみられるようになったので、同年七月二二日原告が被告を県立中央病院精神科で受診させたところ、精神分裂病との診断であったので、外来通院を開始することとなった。

4  しかし、被告が通院を拒んだため、原告が被告に代わって病院に赴き薬をもらってくるというものであった上、被告の服薬も不規則であったため治療は奏効せず、次第に被告は育児、家事などをしなくなりただ座っているだけで話しかけにも応じなくなっていた。

そして昭和五〇年になって、被告は、抱いていた二女夏子を理由もないのに突然投げ出したり、「二階の天井に錐の穴がある。」、「錐、錐」と言い出し、さらに、原告や被告の父親に対して「この男」と言ったり、ひもで物を触ったりするなど病状が悪化したので同年三月三一日、原告は被告を県立中央病院に入院させることとした。

被告は同年七月下旬ころからは外出、外泊を繰返しながら治療を受けていたが、次第に異常言動が消失し、家人との接触も良好になっていたので同年一〇月一日、家庭生活が可能との判断で精神分裂病の不完全寛解(治ゆ)の状態で退院した。

右退院後、被告は右病院で通院治療を受けていたが、経過が順調であり、同五一年五月二五日完全寛解(治ゆ)との診断で通院治療も終了した。

5  ところが、昭和五一年六月中旬ころから昼間から横になっていることが多くなり、再び育児や家事を怠たるようになったほか、厳しい表情をして原告に向かって、「あなたが食事を作りなさい。私が外で稼いでくるから」というような攻撃的な言動が現われた。しかも、被告は原告の勧めにもかかわらず県立中央病院での受診を拒絶したため、同年七月二九日、原告は被告を上京させて東京の実家に預けた。

そして、妹の結婚式もあって上京した原告や実父らに付添われて、同年八月二一日被告は松沢病院で受診したところ、精神分裂病との診断を受け、同月二三日同病院に入院した。

入院当初は、被告に主症状である拒食、拒薬などの拒絶のほか妄想の症状も窺われ治療に対し抵抗を示していたが、次第に急性期の拒絶・妄想の症状は消失し、表情や態度も温和になっていった。その後、原告の離婚意思の表明、引取拒絶、実家からの外泊忌避にあって不安感・焦燥感が強く現われた時期もあったが、約三年にわたる、入院治療の結果、被告の症状が軽快したため、同五四年九月二五日欠陥治ゆの状態で松沢病院を退院した。

なお、被告は松沢病院入院中の同五三年一月一二日から新宿の料理店で皿洗いの仕事につき、病棟から通い始めたが、同年三月四日自己の入院の事実が他人に知れるのをおそれたため右仕事は辞めてしまった。その後同年四月一二日から桜上水にある中華料理店で皿洗いの仕事を始め、約一一か月間勤務したが同五四年三月二〇日腰痛を理由に同所も辞め、以後病院内の清掃作業に従事したりしていた。

なお、同五三年九月ころ、被告は松沢病院の指示により一時青森に帰ることになったので、同人の弟である乙山松夫(以下「松夫」という。)と妹竹子の夫である丙川竹夫に付添われて青森の自宅に帰ったものの原告の引取拒絶に会い、被告は一〇日間位自宅に滞在したもののその間原告は外泊してしまい、結局被告は子供らの顔を見る機会もないまま原告に連れられて再び松沢病院に戻って来た。

6  松沢病院退院後、被告は肩書住所地にアパートを借りて単身生活を続けながら右病院で通院治療を受けているところ、退院後もしばらくは右病院内清掃作業に従事していたが、「菓子店での仕事がみつかった。」と嘘をついてこれを辞めている。その後再び右桜上水の中華料理店の皿洗いの仕事についたが、間もなく腰痛を理由に辞めてしまい以後職についていない。

現在単身生活ながら、一応掃除、洗濯、炊事などの身の回りの事はこなしているが、精神分裂病や腰痛の治療のために外出するほかは自宅で新聞を読んだり、テレビを見たりしてすごしている(松沢病院退院後、しばらく料理、ソシオドラマ、創作活動、話合い等のディーケアー活動に参加していたが、それにも腰痛等を理由として参加しなくなった。)。

なお、被告は本法廷における被告本人尋問の緊張のためか心因反応を起こしたため、同五六年九月から同年一一月まで、実父との経済上のトラブルにより、同五七年三月一六日から同年四月六日まで及び同月二七日から同年五月二五日まで、担当医師の変更により、同五八年一月一七日から同年三月四日までそれぞれ入院治療の必要性を生じ松沢病院に入院した。

7  現在の被告の病状は、破瓜型精神分裂病の欠陥治ゆの状態にあり、入院を継続しなければならないという状態ではないが、完全治ゆとは言えず、ほぼ両者の中間である中等度の状態にあって松沢病院に通院しながら薬物療法精神療法を受けているものであり、妄想・幻覚などの精神症状や異常体験に基づく行動化は認められないが、意思的欲動の鈍化、感情の平板化、思考の貧困、表面的接触、自発性の減退などの症状を残している。そして、日常生活の単純で機械的な作業や行為は可能であり、夫や子供に対する細やかで豊かな人間関係には困難を伴うが、医師、ケースワーカー、家人の援助、庇護、指導下においては社会生活が可能な状態にあり、右条件充足下では、雪国、夫・子供の存在は社会生活を妨げない。

8  被告は、前記アパートで単身生活を送っており、一か月二万三〇〇〇円の生活保護費と昭和五七年七月に婚姻費用分担調停において取極められた月額四万五〇〇〇円の原告からの仕送りで家賃を支払いながら生活している。

被告の肉親としては東京都三鷹市内に、胆石症の持病を持っている実父、その後妻、松夫一家が同居しながら生活しているが、被告は右実家から疎外されており、時々実父の訪問を受けるというものであり、被告は、抽象的な願望ではあるものの原告及び子供らとの共同生活を強く望んでいるが、原告の引取拒絶に会っている。

9  原告は被告の精神分裂病の悪化のため、昭和五〇年三月に二女夏子を乳児院に預け(被告が県立中央病院を退院したころに自宅に引き取った。)、また同年四月からA高等学校の全日制から定時制にと勤務替えをしてもらい、被告の県立中央病院入院中は母親の手助けを受けつつ男手一つで家事、育児に忙殺された。そして、原告は被告が同五一年に松沢病院に入院したあとの同五二年二月から長女春子と長男一郎を「B園」という養護施設に預けたが、教育的配慮から長男一郎を同五三年一月に、長女春子を同年三月にそれぞれ自宅に連れ戻し、母親の手助けを受けながら三人の子供の世話をし、現在は肩書住所地で右母親と三人の子供との五人で生活をしている。しかし、右母親は足が不自由で家事を十分に行うことができないため、親せきの人に手伝いに来てもらっているほか、二女夏子については格別問題はないが、長女春子と長男一郎については両名とも成績が振わない上、日常の素行・生活態度に問題があり、原告はその対策に頭を悩ましている。

原告は同五七年四月以降再びA高等学校の定時制から全日制の担当教諭となり現在に至っているが、収入は手取り月額二四万円くらいである。

また、原告は同五一年春ころから頭痛、耳鳴り、気力喪失などの症状が出たため県立中央病院で診察を受けたところ、抑うつ状態との診断であり、同年九月二九日から同五二年三月二五日まで通院治療を受けた結果治ゆしているが、現在でも無気力感が残っているほか、腎杯憩室結石の持病がある。

10  原告は被告が松沢病院入院中の昭和五一年一二月ころ被告との離婚を決意し、同五二年一月二八日被告の家族と離婚の話合いをしたが物別れとなったため、同年三月一九日東京家庭裁判所に被告との夫婦関係調整の調停(離婚調停)の申立をしたが、被告が離婚に応じない態度であったので、右調停は不調に終わっている。そして、原告は同年八月一二日青森家庭裁判所に被告の禁治産宣告の申立をしたところ、同五三年七月三日同家庭裁判所は、被告に対し、心神耗弱を理由として準禁治産宣告をなし、被告は右審判に対して即時抗告をしたが、同年一一月一五日仙台高等裁判所は右抗告を棄却し、右準禁治産宣告は確定した。

二  以上認定の事実に照らして被告が強度の精神病にかかり回復の見込みがないものであるかについて判断するに、民法七七〇条一項四号にいう「強度の精神病」とは、同法七五二条にいう夫婦相互の協力扶助の義務を果たすことができない程度の精神障害に達している場合をいうものと解すべきところ、前認定のとおり、被告は松沢病院退院後も数回短期的な入院を繰り返したものの、現在では右病院で通院治療を受けながら単身生活を送っているものであって単純な事務処理は可能であり、また、医師、ケースワーカー、家族等の庇護のもとにおいては社会生活を送ることができる中等度の欠陥治ゆの状態にあり、右条件充足下では雪国、夫・子供の存在は社会生活を妨げないのであるから、未だ「強度の精神病」に該当するものとはいえない。

よって、原告の民法七七〇条一項四号を理由とする離婚請求は理由がない。

三  次に、原・被告間に婚姻を継続し難い重大な事由が存するか否かについて判断するに、前認定のとおり、原告は昭和五一年から同五二年にかけて抑うつ状態になり通院治療を受け、現在でも無気力状態が残っているほか腎杯憩室結石の持病を持っていること、原・被告間の長女春子、長男一郎が素行上問題を有し、原告がその対応に苦慮していること、被告の入院や治療などのため種々の経済的出費を強いられてきたこと、原告と被告は、被告が上京した同五一年七月末以来別居状態とも言えることが認められるが、原告の抑うつ状態は一応治ゆしていること、子供らの教育問題についても被告との離婚によらなければ解決し得ない性質のものであるか疑問の余地があること、経済的問題についても原告は高等学校教諭として相当の給与を得ているだけでなく青森市内に自己の土地、建物を有しているなど、今後被告の面倒をみることが耐え難いほどの経済的負担を原告に強いるものとはみられないこと、原・被告間の別居状態も被告としては同五四年には松沢病院を退院して原告や子供らと一緒に生活をしたいと望んでいたのに原告がこれを拒んだためであり、一方被告は自分の実家から疎外され、生活保護と原告からの月々の仕送りに依存しながら原告や子供らとの生活を希望しながらアパートで単身生活を送っているのであり、これらの事情に鑑みると、原告側の事情は、いずれも回復の見込みのない重大な精神病には該当しない精神病の配偶者を抱えた場合に他方の配偶者が通常負う負担の域を出ないものであって、原・被告間に婚姻を継続し難い重大な事由が存するとまではいまだ言えないというべきである。

よって、原告の民法七七〇条一項五号を理由とする離婚請求も理由がない。

四  以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鎌田泰輝 裁判官 岡部喜代子 志田博文)

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